「瞑想」という文字から、あなたはどんな印象を受けるでしょういか?おそらくほとんどの人が瞑想とは座禅を組んで、目を閉じて雑念を払い、無心になる図を想像するのではないでしょうか。確かにそれも間違いではありません。しかし、日本で言うところの禅とヨガの瞑想は、限りなく似ていながらも若干の違いがあるのです。 ヨガのアサナは何故行うのでしょうか?そしてそのアサナを行ううえで、ポーズを取るよりも大切なのが呼吸を意識するという事でした。そして、これらの練習は、「瞑想」を行うための土台作りと言えるでしょう。 安定した坐法で座り、呼吸を整え、目を閉じると…必ず雑念がよぎります。心を「無」にする事は簡単な事ではありません。「無」にしようと意識すればする程、雑念が浮かびます。そして妄想の世界に引き込まれてしまうものです。では、ヨガの言うところの「瞑想」とはどんな状態の事を意味するのでしょうか?
まず呼吸から考えてみましょう。私たちは身体を持っています。外見上では固体ですよね。私達の外界との境界線は一応この身体です。しかし、それは本当に三次元的な理論上での事で、実際は私達を含めるこの世のものはすべて、大いなるひとつのものなのです。 その理論から言えば、すべての物はつながっています。私もあなたの恋人も、大嫌いな上司も、パソコンも、ヨガスタジオも、電車で隣に乗り合わせた赤の他人も、会った事のない遠い外国に住む人々も、アマゾンの熱帯雨林も…すべてはひとつにつながっているのですね。 身体の中に、私達の意識があります。形には見えませんが、そう意識をしている自我というものは、実は私達のすべてではありません。本物の大いなる自己は、あなたが意識する事が出来ないほど、広大で気が遠くなる程深い世界の中にいるのです。 瞑想はその大いなる自己との出会いにほかなりません。自分の中の無意識の海に触れる事、それこそが瞑想の目的だと言えるでしょう。無意識とつながる事で心の動きや脳波はリラックスして安定します。
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