普段の日常生活では、私達は自分というものを意識しています。そして、視覚的にも物理的にも自分と世界との境界線をひいています。しかし、瞑想時には、この境界線は消えてなくなります。身体という境界線がなくなり、日常生活では触れることの出来なかった無意識の世界と触れ合うことが可能になるのです。 たとえばヨガのアサナの練習をしている時、いつも頭を悩ませているような日常の問題や、過去や未来を思いわずらう思いが綺麗に消えてしまっているのではないでしょうか?これも一種の瞑想ですね。あなたの意識はあなたの肉体を超えて無意識に触れている境地なのです。 あなたが息を大きく吸い込むと、あなたの周りにあった大気に変化が起こります。あなたの吸気は、確実に宇宙に影響を与えるのです。あなたが息を吐くときも同じように宇宙に影響を与えるのです。アサナやプラーナヤーマで心身ともに鍛え、コントロール出来る身体の土台作りをする事で、より深く無意識の世界を旅する事が可能になります。
通常の瞑想はヨーガスートラで言うところの「ダーラナ」にあたります。そこからもう一歩深く進んだ状態が「ディヤーナ」です。ディヤーナでは深く深く無意識の世界に溶け込むことが可能です。しかし、素人がいきなりこの無意識の世界深くに入ることは危険です。無意識の大波にもまれて、妄想にもまれ、通常の日常生活に支障が起きる可能性もあるのです。ディヤーナでは、深く無意識の世界に入り込みますが、プラーナヤーマや意識を使って、この世界にきちんと戻ってくるという瞑想段階なのです。 ところがヨーガスートラで言うところの「サマディ」三昧では、日常生活のレベルははるかに超越します。無意識の世界の果てまで行き着き、ついには大いなる自己「真我」との統合を果たすのです。この境地が「悟り」と言われるもので、「サマディ」に入ってしまうと、その期間肉体的にはほとんど機能を失ったような状態になるようです。ヨガの修行僧達の究極の道がサマディだと言えるでしょう。
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